「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、性別、年齢、故郷、風習、宗教を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年10月30日木曜日

巨大なエビフライ

教え子であり、丹沢のサル観察し隊のメンバーであるK.Y.さんから巨大なエビフライをもらった。
先日、彼は然別湖(北海道)にナキウサギを見に行き、そこでエゾリスがチョウセンゴヨウのマツカサを食べるところを目撃し、その食痕であるエビフライをお土産に持ってきてくれた。

まー、この巨大なエビフライを見て下さい。
左のチッチャイのは湯河原の野生動物探検隊のtakeさんのフィールドで拾ってきた赤松のエビフライである。
左の上のものは、エゾリスが齧って半分に割ったチョウセンゴヨウのタネと鱗片の一部である。
チョウセンゴヨウのタネは、私たちも松の実として食べられる。
エゾリスはこの大きなマツカサをトウモロコシを食べるように横に持って食べているのをK.Y.さんはブログに載せている。

2008年10月29日水曜日

サルとウシとキツネの頭骸骨

今日、ロッカーのダンボール箱を開けてウシ(下北半島脇野沢で)の頭骨を眺めていたら、頭蓋骨を形成するそれぞれの骨の位置が異なるのに気がついた。
頭骨上の印: x:前頭骨、〇:頭頂骨、△:後頭骨
ヤクシマザルの頭骨:
サルもヒトも前頭骨はアカンボウの時にはすでに左右の骨が縫合している。
後頭骨は真上からだと見えない。
キツネの子供の頭骨:前頭骨は左右がまだ縫合していないが、頭頂骨は縫合している。後頭骨が真上からでも見える。
まだ若い ウシの頭骨:真上からだと前頭骨しか見えない。
後ろからウシの頭骨を見ると、前頭骨、頭頂骨、後頭骨がわかる。
サルとキツネ、ウシの頭骨を比べたが、キツネが哺乳類のオリジナルなものであり、サルやウシは特殊化が進んだ頭骨となっているように見える。
これらの頭蓋骨の比較は近いうちにホームページの方の載せたい。

2008年10月28日火曜日

不思議な親子関係

釧路の実家では、もう十年以上グッピーを飼いつづけている。
グッピーは熱帯魚であるが、水槽にはヒーターも水の循環装置もとりつけていない。
帰る時に、グッピーのオスとメスのペアーを持ってきた。

庭の睡蓮鉢に入れたら、メスが飛び出て死んでしまった。
オス一匹では可哀想なので、近くのお店でメスを2匹買ってきて、残っているオスと一緒にさせた。

グッピーは卵胎生であり、産まれた稚魚は親に食べられてしまうので、稚魚をすくって別の水槽に移した。
稚魚は70匹ほどにも増えた。

稚魚にも餌は1日に数度与えているが、あまり大きくはならない。
先日、少し大きくなったヤツを3匹、親がいる水槽に移した。
しかし、チビたちは親に追われ食べられそうになったが、うまく水草に隠れて逃げることができた。
翌日水槽を見ると、食べられずにいたチビを見つけたので、さらに5匹チビをいれてやった。
3、4日した頃、親の水槽の稚魚の様子をみると何だか随分大きくなったようにみえる。
1週間経った頃、家族の者が「お父さん、小さなグッピーを買ってきたの?」と云う。

チビが大きくなって尾の方が赤く色づいているのもいる。

随分大きくなるのが早いので、その理由を考えた。
稚魚がいる水槽は稚魚がたくさんいるのに狭いので、成長できない。
一方、親がいる水槽は大きいから、成長が早くなるのではないか?

専門学校に熱帯魚の先生がいるので、疑問をぶつけてみた。

なんと、それは「、、、、、、」であった。
これは、グッピーに限らず他の魚でも同様のことがあるようだ。
「、、、、、、」は何だとおもいますか?

2008年10月27日月曜日

スローロリス

ぼくが通っている専門学校の飼育室には、びっくりするような動物たちが飼育されている。
このスローロリスもその一つ。
この個体はどのようなルートでこの学校で飼えるようになったのだろうか?
ワシントン条約を含む野生動物の取引には抵触していないのだろうか?

この個体はケージに近づくとこちらにゆっくり近づいてくる。
動きがスローだが、ぼくの携帯ではこの程度の写真しかとれない。

ロリスの仲間は、サル(霊長)目の中のヒトやニホンザルを含む真猿亜目とは異なり、アイアイやキツネザルのような原猿亜目の猿になる。
アジアに生息する原猿は、このロリスの仲間とフィリピン・インドネシアの島々に棲むメガネザル(メガネザル亜目と分類され場合もある)の仲間がいる。
他の原猿はアフリカ大陸にいるガラゴ(ブッシュベイビー)の仲間と、他のすべてはマダガスカル島に生息する。

と、今日は夕方から呑み会が入っているので、3時限目の授業が終わったあと、学校の飼育室をのぞいたり、パソコン室でこうやってキーを叩いたりして時間をつぶしている。

2008年10月26日日曜日

秋の南山で

宮ヶ瀬湖北岸の南山で:
アカモミタケである。何故か杉林にたくさん生えていた。
豚汁にいれて食べる。
歯ごたえがしっかりしたキノコである。
オスのおいしそうなキジに出遭った。
コブシの独特の実が枝にぶら下っていた。
動物探しで山道を歩くのではなく、山の幸を求めて歩く山道はしぜんとゆっくりしたスピードになる。
ボタンヅルの奇妙な形をしたタネに目を留め、ヤマイモの蔓に大きなムカゴを見つけては手を伸ばしてそっと摘み取り、モクレンやコブシの実(タネ)のつき方の面白さに感動する。
山は文句無くぼくらに自然の素晴らしさを教えてくれる。

秋の実と花

昨日は「丹沢サル観察し隊」の人たちと、宮ヶ瀬湖北岸の南山にハイキング:
登りは杉林の中の道であり、コウヤボウキや近縁のカシワバハグマの肌色っぽいキク科の花が露に濡れていた。
1時間くらいで登れたので、帰路は林道に降りることにした。
途中で、アカモミタケを収穫しちょっと潤った気持ちになる。
林道にでる。
ガマズミの赤い実や野バラの赤い実が眩しい。
T.Y.さんがサルナシやアケビを見つける。
たくさんなっているが、どれも高いところなのでなかなか実を取ることができない。
しかし、意を決して前日の雨に濡れたブッシュに入り、アケビの蔓が絡まっている枝を下げて、少しだけ取ることができる。
教え子の学生たちに味あわせてあげようと思ったが、、、、。
さらに、アケビも見つける。
これはちょうど食べ頃だ。タネの回りの白い部分が透明になりかかっている。
この林道は一般車両の通行が禁止されていたので、気持ちよくあるくことができた。
駐車した「津久井町鳥井原ふれあいの館」で野菜などを買う。
採ったアカモミタケも売っている。
お昼を水沢の河原でとる。
昼食後、松茸山への階段を登ると良い香りが漂っている。
ヒイラギが白い花を咲かせている。
花の形やつき方はキンモクセイに似ている。
香りは春のイボタノキやライラックの香りにも似ている。
ヒイラギがこんなにも真っ白な清楚な香りの花をつけるとは、、、、、、。
キンモクセイ、ヒイラギ、ライラック、イボタノキはどれもモクセイ科である。

2008年10月23日木曜日

ワカサギ?の群れ

丹沢実習で:
三叉路でバスを降りて、吹風トンネル・宮ヶ瀬霊園を過ぎたところの橋の上から宮ヶ瀬湖をのぞくと、魚の群れが不思議なかたまりとなって移動している。
こういう魚の塊は、カワウやヤマセミたちも気づくだろうに、この魚たちは不思議な生き物のように形を変えて、水面近くを泳いでいる。 ぼくらは、橋の上から小石を投げたが、魚たちはその動きを止めず一塊となって右に左に移動する。岸辺の方に移動していくようなので、ぼくらも橋の上に荷物をおいて岸辺までおりる。

しかし、上からはよく見えたのに岸辺からは光の屈折のためか見えない。
ただ、魚の群れがいる辺りの水面にさざ波が立っているだけ。

岸辺の浅瀬にはヨシノボリのチビが底に張り付いている。

水面から岸に目をやると、たくさんのテグスや仕掛けや竿までが捨てられている。
この岸辺を歩く鳥や動物たちには迷惑なシロモノだ。
おそらく、何羽のもの鳥がテグスに足を絡めたり、針に刺さったりしているのだろう。
しかし、何故テグスや針、浮きや竿までが捨てられるのか?
ぼくの子供の頃は、針が川や沼のゴミか何かに引っかかると、12月の凍るような川の中までもパンツ一枚になって、引っかかった針を外しに水の中に入ったものだ。
そのくらい、針などの仕掛けは大事なものだった。

人が裕福になると、開発と言う名の自然破壊で野生鳥獣にとっては棲みづらくなるばかりでなく、釣り人のような自然愛好者までが、野生鳥獣を苦しめていることになる。

上の写真のテグスはほんの一部である。
学生たちは、テグスなどを拾い集めて持ち帰る。

2008年10月22日水曜日

オナモミ、久しぶり!

丹沢実習から:
帰路、セイタカアワダチソウが群生しているそばに、オナモミがイガイガの実をつけていた。
この5、6年、否10年以上会っていなかった植物だ。

植物写真家の鈴木庸夫さんが、ブログにソナマツムシソウに久しぶりに出会った喜びを載せておりました。
植物との出会いは何故か、初恋の人との出会いのようで、久しぶりに会うと懐かしさがこみあげてきて声をかけてしまう。
「お前、ここにいたの!、、、、、、、、、、。
オナモミはメナモミと対にして学生の頃、覚えた植物であり、遠い二十歳前後の頃のことが、、、。

2008年10月21日火曜日

シャーマントラップ

シャーマントラップH.B.Sherman Trapsである。
これらは折り畳むことができるので、持ち運びに便利だ。
右のはネズミ用で、横:5cm 高さ:6cm 長さ:16cm(単位はおよそのcm)
左は、今回使用した物、横:6cm 高さ:7cm 長さ:23cm
野生動物探検隊のtake隊員が値段を知りたがっているので、ネットで調べた。
https://www.shermantraps.com/pc-31-3-lfa-folding-trap.aspx
をみると、3x3.5x9の物が、16.46ドルとなっている。
今、円高なので、1700円以下で買えるということだ。
日本の業者から購入する値段の半値である。

2008年10月20日月曜日

だれの巣穴?

丹沢実習:
アナグマの糞がすぐ近くにあった穴。
カメラのレンズキャップより大きい。
入り口には、掻き出された新しい土がふぁーっと盛り上がっている。
アナグマにしては小さい穴だ。
ネズミにしては巨大すぎる。
誰の巣穴?
イタチが穴を掘るの?
このような穴が近くにあったなら毎日でも見にいくのだが、、、。
全部で7個仕掛けたシャーマントラップの中で、N女学生がかけたものに一匹かかる。
見た目はアカネズミの幼体かヒメネズミかは判然としない。
朝5時半に回収したのだが、寒かったせいか半死状態となっていた。
このヒメネズミ?は学生が解剖し、標本にするために持ち帰る。

動物たちはサルナシを食べてる!

丹沢実習で:
サルナシの蔓は目に付くが実が見当たらない。
風などでサルナシの実が林床に落ちていれば、甘い発酵臭がするのでサルナシの実を見つけやすいのだが、、、、。
金・土と二日かけて、10時間以上山道を歩いたがサルナシの実を見付けられなかった。

が、テンやアナグマはちゃんと今の時季の美味しいサルナシを見つけて食べていた。
黒岩から物見峠への林道上に2個落ちていたテンの糞。
黒い部分はアケビのタネ、緑褐色部分はサルナシの皮である。
始めにアケビを食べて、後からサルナシを食べたようだ。
アナグマの土壌動物や昆虫、及びサルナシを食べた糞。
サルナシの茶褐色のタネがある。
林床に落ちている実を食べたのだ。

テンもアナグマもサルやヒトほどに目は良くないので、鼻でサルナシを探しているのだ。
ぼくも目よりも鼻が良いのだが、まず目で探そうとする。
臭いを感じてから鼻をクンクンさせる。
彼らはぼくらの何十倍も嗅覚に優れていることは間違いない。

2008年10月19日日曜日

トゲナナフシ

丹沢実習で:
ナナフシなのにちょっとオカシイ、身体中にトゲがでている。
で、ナナフシ&トゲでネットをみたら、すぐトゲナナフシがでてきた。

橋の欄干で前脚を何故か触覚のように前方に伸ばして、フリーズしている。
歩き出した。
クリックすると大きくなってトゲがわかります。

食べ頃なガマズミの実

丹沢実習で:
黒岩から札掛・物見峠に通じる林道を歩く。
天気が良すぎて、歩くのが嫌になる。
サルナシは見つけられないが、ガマズミの実は赤く熟しているので、遠くからでも目立つ。
この一房を頬張り舌と歯で皮をタネから剥がし甘酸っぱい汁を舐めとったら、スイカのタネを出すようにプップップと吐き出す。
この味と吐き出す感触が何とも云えず気持ちが良い。
学生たちにも、教える。
が、ぼくのようにたくさん口に頬張るようなことをしない。
青臭いようだ。
リンドウがいくつも日の当たる斜面に咲いている。
秋の七草と思って口ずさんだ「萩、尾花、葛、撫子、女郎花、桔梗、藤袴」でリンドウが入ってない。
リンドウはハルリンドウもあるし、真夏の高山にも咲いているし、、しょうがない。
リュウノウギクを春に茎折って持ち帰り、我家の庭で挿木して花を咲かせたが、野草は野山で咲いているから美しい。

2008年10月18日土曜日

丹沢実習

17(金)・18(土)の丹沢野外実習:
東京アートコミュニケーション専門学校(TCA)というところで非常勤で野生動物の授業や野外実習をするようになって9年になる。
今の時代を反映してか、4年生大学を出たあとに入学してくる学生もいる。
皆、自分なりに何かを求めている。

今回は半数の出席者であった。
17(金):キノコ採集を目的として長者屋敷キャンプ場の前の尾根を登り、宮ヶ瀬・丹沢山間の登山路にでて、登山路を少し丹沢山方面まで移動して高畑山入り口の尾根を下る。
収穫は結局、登る前に採った2本のカラカサダケとホコリタケの幼菌少々、ハツタケの仲間一本だけ、それらを味噌汁と焼肉のつけ合わせ食べる。
長者屋敷キャンプ場で、夕食を終えた後。
唐沢に沿った道を登る。
何箇所もこのような腐ったような木の橋があり、一人づつ渡ってもらう。

木漏れ日の中、サルナシを探しながら歩く。学生たちは2年生になるのにサルナシそのものを食べたこともなければ見たこともないようだ。そんな状態で卒業させたくはない。彼らは自然専攻野生動物レインジャークラスなのだ。
「山の神様」から「黒岩」までの橋が流されており、川を渡渉する。冷たくて気持ちが良い。この学生は靴を首から振り分けてもっていない。流れが緩やかで浅いからと言うだろう。
「黒岩」から「物見峠」までの山道が崩壊しているので通行禁止という立て看板。でも、これは3、4年前からだ。県は林道は修理するが、登山道はなかなか修理しない。

朝、7時半にキャンプ場をでて「物見峠」に11時に着き、タッパーに詰めたご飯とサバの味噌煮の缶詰のお昼。冷たいご飯だが、久しぶりに美味しい昼食を食べた感じだ。皆で一緒に同じ行動をし、同じ物を食べる。これが美味しいのだ。山が更なるご馳走を与えてくれている。 「煤ヶ谷」に辿り着く。セイタカアワダチソウがやけに目につく。
サルナシの蔓はたくさんあったのだが、とうとうサルナシの実を見つけることができなかった。

キャンプ場で泊まった夜は9時に寝てもらう。ぼくは部屋から出て、炊事場で寝る。動物たちが炊事場付近にやってくるのを期待したのだが、オスジカの鳴き声が聞こえただけで、アナグマもタヌキもキツネもやってこなかった。

写真は学生たちから了解をとって載せております。

2008年10月16日木曜日

明日は泊りがけの丹沢実習

明日は、一泊二日の丹沢実習:
学生と一緒に、秋の山歩きを楽しんできます。
ナラタケとサルナシを採れれば良いなー。
オスジカの朝方や夕方の「ピーー」というメスを呼ぶ声も聞かせたい。
もちろん、サルたちの赤くなった顔や尻も見せたい。
シャーマントラップで何が捕れるか、それも楽しみだ。
もちろん捕まえたヤツは同定して逃がします。
金・土と晴れの予定なので、かなり歩くことになりそう。
金曜日は高畑山周辺をキノコ探しで歩き回る予定。
土曜日には、長者屋敷キャンプ場から唐沢沿いに遡上し、黒岩まで行き、そこから物見峠・煤ヶ谷へと歩くつもりである。
日が沈む前に舗装道路に出たい。

庭で餌(ご飯とパン)を食べるネコキチ

フクロモモンガがかなり臭うので、剥皮を庭で行っていた。
なんと、ネコキチが腐った臭いに誘われてやってきた。
まるで、「お前さん、何をしているんだ、この美味しい匂いは何?」と言いたげに2メートルくらい横まできて動かない。
写真を撮る。
なんと尾が途中で切れて、しかも曲がっている。
さぞかし痛かっただろう。
それで人間不信になっているのかな?
ご飯を少しとパンとその上にネコキチ用につくってあったサンマの頭や尾の味醂と醤油で煮たものを出す。
近寄ると一旦見えなくなったが、すぐ現れて先ずご飯を食べ始める。

なんだか、急に馴れてきたようだ。
ここだと、睡蓮鉢の水を飲むこともできる。

有袋類のフクロモモンガ

14日(火)に専門学校の学生から、また、モモンガをもらった。
が、これはフクロモモンガであって、アメリカモモンガではないという。

前のもフクロモモンガだったようだ。

ネズミの仲間のモモンガだと思っていたので、剥皮してフラットスキンにし、腐らすために水に浸けるときも全く詳しく見もしなかった。

左のフラットスキン(皮を肉との境い目でセーターや靴下を脱がすように剥がしたもの)は今回もらったオトナのフクロモモンガである。

下はフクロモモンガの歯である。
齧歯(ネズミ)目の歯に似ているようだが、随分違う。

ネズミ目だと上下とも、一対の第一切歯が長いのだが、下顎は長いが上顎のは他の歯と同じくらいの長さだ。

さらに、見てわかるように犬歯が不明確、小臼歯が尖っていて、食虫類や肉食動物の歯のようだ。

ネズミの仲間だと、臼歯はすりつぶすような構造をしている。
となると、このフクロモモンガの食べる物は、ネズミ目のモモンガとは全く違うものを主食にしているということだ。

この歯からのぼくの推定:小臼歯の鋭さから昆虫、小脊椎動物を殺して食べる。殺す時に下顎の切歯を突き刺す。
調べた結果:これはsugar gliderという英名がついていて、雑食性。ユーカリ木の甘い樹液を好むようだ。さらに、花粉、蜜、昆虫、その幼虫、サソリやクモ類、小脊椎動物も食べる。春・夏には主に昆虫(ガや甲虫)を、秋・冬にはユーカリの樹液や花粉を食べるようだ。

あー、まだまだ歯の構造から食性を言い当てることは難しい。
しかし、我が頭骨標本の中に、始めて有袋(カンガルー)目の頭骨が加わる。
嬉しい!

2008年10月14日火曜日

ペットの死

釧路の妹から、今朝早く、犬のマリーの死を知らせるメールが入った。
今夏、釧路に戻ったときにもう一匹とともに散歩をしたのだが、歩くのが大変だった。
2階への階段も登り降りができなかった。

この一ヵ月前からオムツをつけなければいけない状態になっていた。
目の回りの毛は真っ白になり、イヌでも老化すると毛が白くなることを知った。
下の写真は2005年の正月の時のものである。
この時からすでに目の上の毛が白い。
ペットの死は、身内の死よりも悲しく涙が溢れ出ることがある。
我家は、イヌ好きだが、まだイヌを飼えない。

クロが死んだら、毛皮は尻皮にして、骨格標本をつくろうと思っていた。
が、しだいに弱って死んでいったクロを前にして、ただ、泣きながら庭に穴を掘るだけが精一杯だった。
一年ちかくもクロのことを思い出して涙が溢れ出たことがあった。

クロは庭の土の中では可哀想と掘り出され、写真とともに頭骨、骨盤とともに居間に置かれている。

2008年10月13日月曜日

秋の庭木の手入れ

秋晴れの中、徒長した庭木を伐り戻す。
黄色の花をたくさんつけてくれるモッコウバラの蔓をまとめていたら、この幼虫がいた。
可愛らしいので、撮る。
調べたらヒロヘリアオイラガの幼虫だった。
前部の赤い一対のトゲトゲがおもしろい。
ユズの枝を伐っていると、アゲハの幼虫がいた。
この子は、頭の当たりをちょっと突くと頭部と胸部の境い目辺りからオレンジイロの二又に分かれる角のようなものを出して威嚇する。
この丸まってきたのは威嚇の体勢に入るところだ。 来春までにあとサルスベリを剪定し、お隣さんに枝を伸ばしているモミジを切らなくてはいけない。
わずかの庭だが、結構やることがある。

それにしても、この幼虫たちはこれからどうやって越冬するつもりなのだろう。
サナギで越冬するのかな?
それとも成虫となって越冬するのかな?
山だと、越冬昆虫はサルたちの格好の御馳走だ。

2008年10月12日日曜日

園芸品種のムラサキシキブ

近所のお家の垣根越しに溢れ出るように実をつけているムラサキシキブ:
園芸品種ならでは実の大きさと多さである。
野生のものではこのようにたくさん大きな実をつけているのは見たことがない。
ムラサキシキブという木の名前は、湯河原のサルを追い出してすぐ知った。
この木とこの実の色と大きさが、いかにも平安時代の風雅な女性の感じであった。
しかし、こうも大きな実をたくさんつけている園芸品種は、マスカラをつけて、クチビルにもピアスをつけてヘソを出して電車のつり革につかまる女性のようだ。

キンモクセイの香り

昨日、健康診断の結果を聞きに近所の内科に行った。
キンモクセイの香りが漂っている。
多くの家の庭に、キンモクセイが植えられており、金色の花が目立つ。
キンモクセイはこの時季に、自分を主張するので、植えられている場所がわかる。
内科の庭のキンモクセイが信じられないくらい花をつけていた。
家に戻ってカメラを持ってきて撮った。
キンモクセイの花が終わるといよいよ秋本番を迎える。
我家の庭のオニユリやカサブランカのユリの茎や葉も茶褐色になり始めて倒れ掛かっている。
そろそろカトレアなどを室内に取り込まなければいけない。

山では、サルの尻や顔も色づき始めて、「ガッカ、ガッカ、ガッ!」とメスザルを狙って群れに近づいてきたハナレザルが木揺すりをしていることだろう。
あるいは、オスジカが悲しげな「ピーーー」という声を張り上げているにちがいない。
大型動物たちの恋の季節の始まりだ。

2008年10月11日土曜日

シュウメイギク

庭の白とピンクのシュウメイギクが咲いている。
この花はなんとなく日本的風情とは違った印象を与えてくれる。
シュウメイギクに出会ったのは、今から30年くらい前に岡山県高梁市にある臥牛山のサル調査の時であった。
臥牛山の山頂の備中松山城の石垣に咲いていた。
お城の管理の人から花の名前を教えてもらった。
クレマチスやアネモネと同じキンボウゲ科であることを知った。 下は、タンザニアのマハレ山塊国立公園で、雨季が始まってからの肌寒い時に咲いているものを撮ったものである。これは葉の形からしてキンポウゲ科であり、シュウメイギクの原種と思っていた。 今朝、小雨の中、 シュウメイギクを撮ったので、生まれはどこなのかネットでみたら中国原産とある。
すると、マハレで撮ったものはシュウメイギクの原種ではないということになる。花は下向きに咲いているので、違うものなのかもしれない。

2008年10月10日金曜日

ヨルガオが咲く

ヨルガオって不思議だ。
昨年は9月下旬頃から咲き始め
今年は、今日咲いた。
どうやって受粉するのだろうか?
昆虫の少なくなった秋になって、夜になって咲く。
匂いは無い。
ただ、この白さが月明かり、星明りで良く目立つ。

2008年10月9日木曜日

もらったアメリカモモンガ

もらった、アメリカモモンガ(Glaucomys volans)の生後3、4ヶ月の死体:
この鉢受けの内径は15センチである。
これは、6日(火)に専門学校の学生からもらったものである。
学生はペットショップから死体をもらったようだ。
ホルマリンに浸けていたのか、少しホルマリン臭さい。

今日は外出する用事がないし、朝から快晴なので処理した。
学生との約束で、①剥皮し、毛皮の標本をつくる、②解体、除肉し、腐らして骨挌を晒骨する、③その様子をメールで知らせる。

問題は、いつ死んでいつホルマリンに浸けたかであり、上手に剥皮できないかもしれないという恐れがあったが、首尾良く手首、足首のところまで剥皮できた。
すぐ、皮を棚板の裏に画鋲で留める。

痩せた個体で脂肪分は殆んどないので、お腹を開けただけで内臓も取り出さないで、そのまま水につける。

3、4ヶ月のチビなので、頭骨の各部分は縫合していないかもしれないので、身体部分とは別にして水につける。

このような仕事はいつも気持ちの良いものではない。
それでも、知りたいという欲求が学生が持っていたモノを云わば強引にもらいうけた。

ネズミ(齧歯)目の動物たちは、草食と肉食、雑食の歯の違いや、跳ねるものと殆んど跳ねないものの足の骨の違いなど、知りたいことがたくさん。

はじめて教会へ

葬儀場などでの、仏式のお葬式には何度か出席した。
煌びやかととも思える祭壇、
供花が所せましと並べられる。
しかも、それぞれの供花には、兄弟一同、〇〇会社会長、県会議員、市会議員、△△家、〇△家などまるで、この時とばかりの自己宣伝の場と化した祭壇となる。
弔辞も普段の付き合いの薄い人ほど、電報で自己宣伝をする。

葬儀場での供花や弔辞に戸惑いを覚えるのはぼくだけではないだろう。

知人のお母さんが89歳で逝き、
告別式が南林間駅近くの教会であるという。

10分前に教会に行き、はじめて細くて長い机を前にして座った。
正面の壁には大きな十字架がかかっている。
右手にはアップライト式のピアノくらいの大きさのオルガン。
オルガンをひいているは60代くらいの痩せた女性。
前奏曲はバッハの重厚なものだ。

時間がきて、牧師が前に立つ。
参列者一同賛美歌を歌う。
受付時に手にした式次第に、歌詞や楽譜が載っている。
祈祷があり、聖書の一部「賛歌。ダビデの詩」詩編23編1~6節が唱えられる。
賛美歌を再び歌う。
説教、祈祷、三度目の賛美歌を歌い、
牧師がの祝祷があり、友人が親族を代表して挨拶をする。
祭壇に並べられていた花を、棺の前に献花する。

出口付近で親族の方々が並んでおり、参列者にお礼を言っている。
ぼくは、友人と互いに目を見合って手を握り合い、「またね!」と教会とあとにした。

これほど、気持ちの良い葬儀に出たのは始めてだ。
良いと感じたのは、①簡素さ、②判り易い牧師の言葉、③一緒に歌うことによる開放感と一体感、③煙たくない事、④オルガン伴奏の重厚さがある。

2008年10月8日水曜日

世知辛い世の中(2)

実家は幼稚園をやっている。
この50年、幼稚園が休日のときでも
近所の子供たちが自由に園庭に入って
滑り台やブランコなどの遊具で遊ぶことができるようにしてきた。
が、各地の公園でブランコの事故があってから、
夏休みや冬休みなどの長期休暇が始まると、
ブランコを外すようにしているようだ。

事故があると悪いのは子供やその親ではなく、
遊具を設置していた側の管理責任を問われることになるからだ。
地域とともに幼稚園があるのだが、
休日の時は自由に園庭に入れないようにしようかと迷っているいるようだ。

あるいは、ぼくは学生を連れて野外実習をやっている。
山では予期せぬ事故があるので、いろいろ事故にあった時のことを考える。
学校側からも学生に怪我をさせないように注意を受ける。
学生たちに素晴らしい体験をさせたいと思っていることが裏目に出てしまうことだってある。

今の学生たちは子供の頃に外遊びをほとんどしていないので、
ぼくにとっては予測不可能なことをやらかす。
渋谷の街を歩くのと山を歩くのと同じだと思っているようだ。
事故があった場合のことを考えると
学生たちを山に連れていけない気持ちになる。

釣り、昆布、イナゴは過度なる自己防衛であり
自分たちが作った権利の主張である。

それは、子供や学生の事故を
その管理及び責任者の側へ押し付ける考え方と根は同じだ。

川や海岸や山や、園庭や校庭でさえも自由に出入りできなくなれば、
ますます子供を含む人々は外遊びができなくなる。
さまざまな自然に触れ合う機会が失われ、
人々は歩かなくなり、
車窓から眺める押し付けられた景色を自然と思ってしまう。

海岸や川岸や山に自分の足で歩いて、
自然の息吹を、美しさを、
楽しさを、恐ろしさを、苦しさを味わってもらいたい。

この世知辛くなった世の中を変えていかねば、
人々はますます自己の権利を主張し、
子供はますます外遊びをしなくなり、、、、、、、。

人々はもはや五感で危険を察知することさえできなくなってきている。

2008年10月7日火曜日

世知辛い世の中(1)

夏に釧路に帰省した時、兄貴に内地(神奈川県)での川釣りの話しをした。
いたるところで規制があり、好きな時に魚釣りができなく、モツゴやオイカワという小魚を釣っていたり、ヨシノボリをすくっていても漁業関係者がきて、
「許可証は持っているか?」
「今は禁漁期間だ!」
「ここで魚を釣ってはダメ」と云われてしまう。

兄は家族で昆布森海岸に行ったときのことを話してくれた。
小さな子供を連れて陽の当たる砂浜を歩き、お弁当を食べて遊んでいた。
4歳になった息子が砂浜に打ち上げられている昆布を引っ張ってきた。
すると、60歳くらいの頬被りをした腰の曲がった女性がやってきて、
「お宅たち、漁業権を持っているのか?」と怒鳴ってきたという。
その言葉と迫力に驚いて、兄貴たちは声も出せなかったようだ。
小さな男の子が1メートルくらいの昆布を引っ張ったことくらいで、、、、。

川や海岸がいつから漁業組合のものになったのだろうか?

知人のYさんは先日、天気が良いので、5歳になる甥っ子と近くの川に遊びにいった。
川沿いの田圃の稲は、稲穂が金色に輝いていた。
田圃の周りの草叢を歩くと、イナゴがピョンピョン飛び回る。
甥っ子とイナゴ捕りをし始めていると、田圃の持ち主と思われる人から、
「お前たち、誰に断ってイナゴを捕っているんだ?ここはうちの田圃だぞ!」と怒鳴られたそうだ。
あまりの剣幕に、ビニール袋に居れたイナゴを放して、帰ってきたようだ。
畦道でイナゴを捕った訳でもないし、ましてや田圃に入った訳でもない。
イナゴは稲を食べて大きくなったことであろうが、川の土手のイナゴの所有権なんてあるのだろうか?

2008年10月5日日曜日

秋はどうして物悲しい?

昨日の境川沿いの秋:
アメリカセンダングサやススキが秋の気配、向こう側は横浜市。
近隣の花好きの人が植えたと思われるコスモス(秋桜)がサイクリン道路沿いで秋の陽を受ける。
何故、秋は物悲しくなるのだろうか?
あんなに嫌に思った蒸し暑さがなくなったのだから、喜びに満ち溢れた気持ちになってくると思うのだが、そうではない。
夏の暑さが恋しくさえ思うのは何故なのだろう。
冬から春になった喜び、春が近づいてくるウキウキした気持ちになるのは解る。
が、秋の寂しさ、人恋しさは何故?
と、アフリカのタンザニアに3年居た時のことを考えた。
雨季に入った時の喜びがある。
半年くらい乾期が続き、木や草ばかりでなく土や岩も乾ききってしまい、川床を掘ると腐ったような水が染み出してくる。それでも飲む。
ジーパンは洗って絞らなくても2時間くらいで乾いてしまう。
ありとあらゆるものが水を欲しがる。
そんな時にしだいに空気が湿ってきて、ダッダァーと雨がくる。
これは、水が欲しいので現実的な喜びである。
しかし、雨季が2、3週間くらい続くともう嫌になり、乾期が待ち遠しくなる。
乾期が来ると、ようやく雨季が終わってくれたかという喜びとまた水を求めて歩かなければならない思いが交差する。
タンザニアに居た時には、気候によって感傷的にはならない。
日本の四季はそれだけ穏やかであるということで、心に余裕を持たせてくれるのかな?