「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年8月31日日曜日

夏痩せ!

サルたちにとっては、夏は冬に次いで食べるものが無い季節である。
春は柔らかい新葉や蕾、花がまわりにあふれる。
秋はおいしいドングリや果実がたくさんある。
真夏は、葉も堅くなりおいしくない。昆虫は豊富だが、腹を満たせるほどつかまれられない。
冬は、もう樹皮や冬芽だ。

真夏は、美味しい食物をもとめて一年で最も長い距離を遊動しなければならない。
当然、痩せる。毛代わりが5月から始まるので、真夏のサルは気の毒なくらい猿相がかわる。
写真は1975年7月の箱根T群の親子。母親の柔毛がおちて皮膚が見えている。
ヒトである僕は「夏痩せ」したことがなく、子供の頃から夏休みになると太る。
夏休みは、宿題を終え、外を駆け回って戻ると、美味しいスイカを腹がはちきれる程食べ、サイダーを飲み、冷たいキャンディーを食べ、また、外に出ていく。
お昼の、お米より大好きなトウモロコシやカボチャ、ジャガイモを食べ、しかもポケットにしのばせて外に出ていき、暗くなってから戻る。
遊び疲れているので、夕食後はそのまま寝てしまった。そう、よく牛になると怒られたものだ。

今は、冷たいキャンディーがビールに変わった。

サルたちは、秋になるとたくましく見えるほどがっちりした身体に変わる。
一方、ぼくは秋になり、学校が始まると痩せていった。
が、今は、夏も秋も年中ビールを飲んでいるので、今夏は一層腹回りが大きくなった。

2008年8月30日土曜日

物が一杯

今回のベトナム旅行で、ホーチミンの書斎をみた。
何も無い部屋と言っても言い過ぎではないほどの、簡素・簡潔な部屋である。
机の上にあるのは電気スタンドとペン立てと文鎮くらいなものだ、他は何も無い。
わが部屋は、ホーチミンの部屋の半分くらいの6畳間。
動物の死体やビールが入った冷蔵庫
スチール製のファイルボックス
床から天井までの部屋の片面一面の本棚や衣類が入るロッカー
植木鉢や水槽や本を乗せているワゴンが三つ
骨の入った箱、山道具の入った箱
山用の大きなザックや街用の小さなザックやカバンなど

さらに、机やファイルボックスや箱の上に、電話、3台のパソコン、蛍光灯スタンド、オーディオ機器、CDやMD、プリンター、スキャナーなどゴチャゴチャとした文房具が散らばる。

ホーチミンが現在生きていたらどのような書斎になっただろうか?
やはり、簡素・簡潔な書斎だろう。

今度のベトナム旅行は食べ過ぎ、飲み過ぎの旅でもあった。
我家に戻り、お茶漬けを食べ、自省の念にかられる。

2008年8月29日金曜日

こんなところにもカブトガニ!

8月23日:ハノイから約4時間かかって180キロ離れた世界遺産のハロル湾に行った。

遊覧船が何艘もあり、湾内の奇岩・奇峰を巡る。
水上生活村に立ち寄った。

カブトガニがサメのような魚と一緒に生け簀に入ってる。
カブトガニは美味しいようだが、裏返したのを見ると巨大なゴキブリのようでもあり、食べる気持ちが失せた。
話しの種に食べてみるんだった。

残りはホームページの自然の中でアップしていくつもりです。

2008年8月28日木曜日

クチトンネルの中の動物

8月26日:ホーチミン(サイゴン)郊外のベトナム共産ゲリラが地下にトンネルを張り巡らして米軍に抵抗したクチ村がある。2度目の観光であるが、前回見えなかったものが見えた観光でもあった。

トンネルの入り口から蓋に枯葉や土を乗せて入って見せる兵士
蓋をピタっと占めると上からでは解からなくなる。
観光客用に広げられたトンネルに入る。
蒸し風呂状態である。
もう、汗が流れ落ちる。
ベトナムの人たちはほっそりと痩せているが、欧米人や日本人、韓国人の観光客はメタボなので辛い。
今回は入り口近くにだけ明かりがあった。中は真っ暗。デジカメや携帯の明かりで歩く。
前方からキャー、キャーと叫ぶ女性たちの声がする。
で、携帯の明かりで照らして見ると、ゲジゲジのデカイやつがいる。
アフリカにもいたファンティエンペン・ワームとやつだ(下の写真)。
と、何か飛び回っている。コウモリだ。
コウモリを写そうと思っても難しい。 出ると、お土産屋があり、トンネル内にいる動物の標本が売られている。サソリもいたんだ。気がつかなかった。 コウモリが2種類以上いるようだ。
トンネルから出て、間もなく土砂降りの雨となる。汗と雨で寒いくらいに濡れる。

社会主義国に限らず、都市名や道路名に偉人の名前をつける国が多い、日本はそのようなことが無いことと誇るべきかもしれない。

2008年8月26日火曜日

Anicent Monkey

Aug.26: I went to Musium to see the Anicent Statures in Danang.
This monkey St. seems to be rhesus monkey.
We have very hot temp(about 34,5 degree) and deep wet(more than 80%) in Vietnum.
There are many kind of beautiful flowers.
I will go to Saigon, tonight.
This PC is not good. I am irritate becasse this PC is very late. But, I must pay 10 Dollers per ten minutes.

2008年8月24日日曜日

from Vietnam

August,23: from Vietnam
In the famous bay, there are 2000 islands in the bay, called Keirin of Sea.
In this island, the local people says that there are two groups of monkeys and that monkey has yellow fur. Maybe I suppose that the monkeys are rhesus monkeys.
I have eaten many kind of tropical frouits, that is, dragon frouit, ryugan, mango, and others.
I have drunken now because of local tasty beer.

2008年8月22日金曜日

ベトナム観光

2004年2月のベトナム・メコンデルタで:
網目状の水路となっていた。
土手を護岸工事してコンクリートで固めていなく、まったく自然のままの状態なので、サカナやエビ、カニが泥と水面の境あたりでうろちょろしていた。
子供にとってはすべてが遊び場だ。
今日から7日間の予定で、2度目のベトナムです。
いつも持っていくトランクがガラガラに空いている。
山道具や調査用具などが入らないからだ。
それでも、コンパスと双眼鏡は必需品として容れた。

観光地巡りなのだが、ヒトと付き合いの長い自然を見てきたい。

2008年8月20日水曜日

渋谷のサル

渋谷駅にニホンザルのオスが出没したことがテレビのニュースとなった。
5歳くらいの若いオスだ。
顔が少し赤みがかってきているが、睾丸はまだ白かった。

野生個体ならば、八王子か奥多摩の野生ザルの群れで生まれた個体だろう。
ニホンザルのオスは2歳~8歳くらいまでの間に生まれた群れから出ていく。
箱根・湯河原での観察をまとめると、4歳前後で出生群から出ていく。

出て行った個体が、箱根・湯河原の他の群れで見つかるのは大体半年くらいしてからだ。彼等は群れから出る前に何度か隣の他の群れのオスたちと交流しているのがわかっている。

しかし、約60キロ離れた伊豆半島南端の波勝崎の群れに加わった個体が3頭いたが、これらは1年以上かけて波勝崎の群れに辿り着いている。

また、生まれた群れの食物が豊富な時期に群れから出ていったか、あるいは乏しい時期に出て行ったかをしらべると、食物が欠乏した時には遠方に移動することがわかった。

渋谷のオスザルは生まれた群れの環境が悪くなったので、見切りをつけて新天地を求めて約50キロ離れた渋谷までやってきたのだろう。あと2ヶ月もすると発情季が始まる。上野動物園のサル山にでも飛び込んでくれれば良いが、、、。

このような個体は人を恐れているのだから、虐めないで欲しい。

文化は世界へ

1974年2月:天昭山野猿公園で、他の群れから加入したオトナオスの廻りに集まった1・2歳のコドモオスたち。母親からは群れのシキタリを、オトナオスからはオスとしての生き方を学び、4~6歳くらいで群れから離脱し、他の群れに接近・加入し、文化を伝えていく。
オリンピックのテレビ観戦をしていて思った。
レスリング、シンクロで日本人のコーチがアメリカや中国を指導しメダル争いをする。
日本のスポーツも外国によばれて選手たちを指導するようになった。

日本では、多くの技術者がやってきて明治以降の日本の発展に寄与してきた。
スポーツの世界でもしかりだ。

外国の優秀な文化を取り入れるためには、日本は随や唐まで使者を送った。
現在でも、日本は海外研修と称して海外の優れた技術を導入しようとしている。

一方、優秀な技術をもった日本人が海外で働き、技術を伝えている。
東南アジアのダム工事開発、道路や橋の設計に関わる人、
精密機械のための技術や工場の運営・管理を指導している人、
アフリカで農業や漁業、医療や行政の指導をしている人、

優れた技術を学びに来た者が自国へ持ち帰って広めていったり、
優れた技術をもった者が外国へその技術を伝えて行く。

明治以降、海外から導入された技術は少なくても貧しい農山村をなくしてくれた。
今では自由競争という一見公平に思える考え方が導入され、再び、貧富の格差が大きくなってきている。
インターネットが普及した現在、技術文化の交流はますます加速化されるかもしれない。
が、私たちは無批判に受け入れるのではなく、考える頭をもたなければならない。

2008年8月19日火曜日

アナグマもサルも食べるものの、このタネは?

アメリカハナミズキの種子:
我家の庭のハナミズキの実(まだ、赤く熟していない)の青い果皮と果肉を取り除いた。
縦軸にそった筋がまだはっきりしません。
丹沢・ ハタチ沢沿いの林道で見つけたアナグマやサルの糞の内容物に含まれていたタネ。
isa隊員のおっしゃるようにハナミズキのタネは縦に筋があります。下のホームページ参照。
しかし、庭の未熟のタネには縦筋がまだはっきりしません。
丹沢・ハタチ沢から持ち帰った糞を改めて見て、このタネを取り出して見ました。
どうも、これは考えていたようなタネではありません。
タネはタネであっても稲の玄米のようなものです。
サルは今の時季の稲穂を食べて、野嵐しをします。
つまり、早稲食いなのです。
ぼくの記憶としては、この時季に稲穂を食べたサル糞は、籾殻が一杯つまったもので、このような玄米状のものでは無かったと思います。
もし、早稲を食べたとしたら、籾殻があるはずです。
また、アナグマがこの時季の稲穂を食べているなんていう話しも聞いたことがありません。
このタネ?
う~ん、何のタネだろう?

2008年8月18日月曜日

何の痕?

「野生動物探検隊」で、林道を歩いていた。
あれ? これぇ~?
丹沢なら、シカかカモシカの食痕だ!
イノコズチの先っぽの方が摘み取られている。
この一週間くらい前に、何者かが林道沿いにあるイノコズチの穂先というか新葉の部分を摘み取っている。

右端に探検隊のtaka隊員がその状態を観察している。
目の前にあるイノコズチだけの先っぽが摘み取られている。
イタドリなどの他の草は摘み取られていない。
クリックすると大きくなるので、その切り口の状態が少しはわかる。
人が鎌やナイフで切ったものでもなく、ノウサギが伸び上がって鋭い前歯で噛み切ったものでもない。
それは、ぼくらの親指の爪と人差し指の腹を使って摘んだような状態だ。

もし、これが人が故意にやったものでないとするとシカかカモシカ、あるいはヤギかウシが食べた痕だ。 彼等は上の前歯がないので、上顎と下の前歯で草を挟んで引きちぎるから、下で絡めちぎる。
ヤギやウシなら、もう少しさまざまな草を食べた痕があるだろう。

1キロくらい歩いた2箇所に、シカがイノコズチを食べた痕のようなものがあった。

幕山や南郷山付近にシカが生息しているという話しは聞いていない。
が、春には、シカの骨を拾っている。
丹沢のシカが分散して、酒匂川や早川を渡ってきているのだろうか?

2008年8月17日日曜日

懐かしい花々

昨日「野生動物探検隊」の集まりがあった。
幕山の山頂でお昼をたべる。
およそ40年振りに幕山の山頂にたった。
以前は木など生えてなく、山頂一帯は草原であった。

幕山山頂から真鶴半島を見る。
オミナエシが咲き
ワレモコウがあり
カワラナデシコが咲いていた。
これらの花は、40年前学生だった頃に、同級生の植物の詳しい女子から教わったものだ。

幕山はロッククライミングの練習地として知られていた。新崎川に沿ってあった城堀地区や鍛冶屋地区のミカン畑であった場所は今は住宅地となったり、梅の木がたくさん植えられて幕山公園となったりして以前の面影がほとんどなくなってしまった。

しかし、幕山の山頂域の草叢にナデシコやワレモコウ、オミナエシ、ヤマホトトギスがあり、遠い学生時代を思い起こさせてくれた。

マルミノヤマゴボウ

マルミノヤマゴボウ 丹沢・ハタチ沢林道沿いで
この異様な赤紫色は遠くからでもよく目立つ。
はじめヨウシュヤマゴボウかと思った。
が、違う。
あまりにも毒々しいので、これも帰化植物かなと思って調べた。
学名:Phytolacca japonica  となっている。
れっきとした日本固有の植物だ。
秋になって丸い実をつけた状態を見たい。

ヤマゴボウ科にはヤマゴボウ、ヨウシュヤマゴボウ、マルミノヤマゴボウと3種日本の山野に生育しているが、いづれも毒であるようだ。
決して根をキンピラなどにして食べないようにしよう。

2008年8月15日金曜日

サル、アナグマ、テンも食べた果実は?

丹沢・ハタチ沢沿いの林道で見つけた糞
サルの糞1
サルの糞2
サルの糞1と糞2も内容物は同じで、アナグマの糞のタネと同じものが入っている。
イタチの糞 ウワミズザクラのタネが混じっている。
テンの糞1  このタネも思い出せない。
テンの糞2  このテンはイタチと同じようにウワミズザクラの実を食べている。実はまだ、枝に着いているので、テンもイタチも木登りしてウワミズザクラの橙色から赤っぽい実を食べたものと思われる。

丹沢:ハタチ沢林道

今朝、5時半に矢部さんの車で家をでる。
お盆のため空いている。
中津川の支流のハタチ沢沿いの林道を詰める。
久しぶりのハタチ沢である。
今日は、メスジカ4頭、2頭は新生児。
サルの糞を多数見つける。この1週間以内にサルの群れが林道に出ていたようだ。
アナグマやテンの糞も多数みつける。

アナグマの糞である。
右の骨はリスの下脚の脛骨の一部
さらに、20分くらい歩いたところで、またアナグマの糞
これはに、ヒミズの下額が左下方にみえる。
ヒミズを食べたものである。毛の塊もある。ヒミズは食べられないと思っていたので、この糞を持ちかえったので、本当にヒミズ(ヒミズでないとしたらトガリネズミ)かどうか調べなくては!
同じ個体の糞かどうかは不明だが、同一のタネ(稲のモミ状)が多数入っている。このタネが何の果実のタネなのか?見たようであるが思い出せない。御存知の方、お知らせ下さい。

アナグマの下顎を見つける。2メートルくらい離れていた。辺りに他の骨を捜すが見つからず。 帰路、下顎を見つけたあたりよりも50メートル以上、上部でアナグマの頭蓋骨を見つける。
状況から判断すると、このアナグマはかなり山側斜面で死んでいたものが、雨水によって林道上に流されてきたもののようだ。

帰宅して、すぐアナグマの左右の下顎を合わせて、上顎と噛み合せる。同一個体のもののようだ。

2008年8月14日木曜日

食物連鎖

鉢植えのフクシャが元気がない。
花や葉も小さい。
暑さにやられたのかな?園芸書を見る。
夏の暑さに弱いので風通しの良い木漏れ日射すところが良いとある。
鉢を持って、部屋に入れ、枯葉や萎んだ花をとる。

1センチにみたないオンブバッタが飛び出した。
2、3匹というものではなく、十数匹も捕まえた。
このバッタたちがフクシャの花や葉を食べていたために、元気がなかったのだ。
小さいバッタの幼虫?なので、葉を一枚一枚見ていたら、
カマキリを見つけた。
フクシャにたくさんバッタのチビがいるので、このカマキリはそれを食べにいるのだろう。
まだ、子供のカマキリだ。 オンブバッタは庭のアオジソを食べるので、必要な今時に毎年虫食いの青葉を切り刻む。バッタがアオジソやフクシャに寄るのは、植物が出す匂いで知るのだろう。では、カマキリはどうやってこのフクシャに辿り着いたのか?目をキョロキョロさせて、バッタのチビを見つけて歩いてきたんだろう。バッタがフクシャを食べ、そのバッタをカマキリがたべる。小さな食物連鎖が生まれている。

2008年8月13日水曜日

ガガイモ科の花

奥野 林道沿いでガードレールに絡まっていたガガイモとそのヒトデのような花 ガガイモの花を見たことがなかった。
このガガイモ科という名前を最初に知ったのは、屋久島でみつけたサクラランであった。
サクラランは観葉植物としても園芸店で売っており、その蝋細工のような花は我家でも何度か咲いた。

サクラランを知った頃、岡山県臥牛山のサル調査で、備中松山城に向かって岩場を登っている時、常緑の葉で太いつるの木か草か分からないような植物にであった。それがキジョランでガガイモ科の植物であることを知った。

しかし、ガガイモの花がどんな花なのか知らないままであった。
今日始めて知ったのだ。
これまで咲いていても見過ごしていた。
今日は、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえる喜びに、目に映る景色も新鮮だ。

今、我家のナツツバキの木からは「八月蝉い」くらいのアブラゼミのジー、ジーという鳴き声が聞こえる。
これから、久しぶりに好きだった音楽をCDで聴いてみよう。
全部、聞き取れるかな?

久しぶりの丹沢

クサギの花、奥野林道で
この時季、ミンミンゼミが鳴いているのが聞こえる。
林道ゲート前に車を置いて、歩き出す。
早くも、真っ赤になったガマズミの実が目に飛び込む。
タマアジサイが今盛りと咲く。

ときどき、ん?この香り?甘く良い匂いがする。
クサギの花の匂いだ。
クサギの葉を揉んだ時の匂いも好きだ。
幼児期に飲まされた薬のよう。 路肩に積み重なった枯葉や土砂がいたる所でイノシシに掻きまわされている。
イノシシがミミズなどの土壌動物を探し回って食べた痕だ。

イノシシの糞が林道上にあった。
アブやハエが群がり、糞虫がたくさん潜り込んでいる。
糞の一部がまるで生きているかのように動く。

木の枝で糞を崩した。
臭い!生ぐさ~い!
さまざまな土壌動物やまだ残っている果実を食べたものだ。
ウワミズザクラの実も拾い食いしたようだ。タネが一個見つかった。

2008年8月12日火曜日

不思議な豪雨

今朝、目覚めたら雨だった。
それも豪雨だ!

タンザニアはマハレの豪雨を思い出した。
雨季の始まりの数日は、まるで天空にある全ての水を短時間のうちに捨ててしまうかのような強烈な雨足だ。

暴風雨や猛吹雪の時に家にいると安心した気持ちになった。
それが日曜・祭日の時は、嬉しかった。
家族がそろっているし、訪ねて来る者はいないからだ。

湖畔の家では、トタン屋根を叩く強烈な音以外何もきこえない。
物売りも来ないし、使用人や国立公園の人たちもこない。
何か、おいしい物でも作りたくなる。

7時を過ぎてようやく小降りになりだし、今はすっかりあがったようだ。空が少し明るくなってきた。

しかし、夏の夕立ちなら理解できるが、早朝に強い雨が降るとは、、、。
しかもこの雨、もしかして藤沢の我家付近だけ?なのかもしれない。オカシナ豪雨である。

右の写真は、タンガニーカ湖岸の我家、雨季の始まりの雨で、屋根から落ちる雨水を取ろうとナベ類などの器を置いている。雨水はそのまま直接飲める飲料水となる。遠景はタンガニーカ湖。

2008年8月11日月曜日

女性の強さは根を下ろせること

1996年、タンガニーカ湖、ホテル、アクア・ロッジの湖岸からボートに乗るジェーン・グドール(Jane Goodall 右から二人目)博士とアンソニー・コリン(Anthony Collin 左から三人目)博士らのゴンベのスタッフ
今ではチンパンジーもゴリラなどの大型類人猿も多くの人たちによって野外観察・研究がなされている。
が、その扉をこじ開けたのは女性だ。
ご存知のようにイギリス生まれのジェーン・グドールはチンパンジーの野外研究でさまざまな新発見をした人だ。
当時日本からは京都大の研究グループが何度もタンガニーカ湖畔にチンパンジーやゴリラを求めて調査していた。
グドールは現在もタンザニアに住居を構えて生活している。
「霧の彼方へ」で知られるゴリラの研究者、ダイアン・フォシー(Dian Fossey)はそれまでゴリラ観察研究を一変させた。マウンテンゴリラの家族群の中に入り込むことができた最初の人である。彼女は残念なことに現地の人によって殺されてしまったが、アフリカの大地に根を下ろして生活していた。
さらに、アジアの大型類人猿であるオラン・ウータンはガルディカス(Galdikas BMT)というカナダ生まれの女性によって多くのことが明らかにされた。もちろん、彼女はインドネシアの男性と結婚して調査研究を続けている。

一見、ひ弱に見える女性であるが、現地に滞在して1ヶ月目、2ヶ月目と月日が経つうちに目や身体つきが変わり逞しくなっていく。逆に、男は日にちが経つうちに逞しさが消え、病気がちになり半年に一度は帰国するということになる。
このことは海外で野外研究に携わる研究者の男女に云えることである。もちろん、例外もあります。

この男女差はどういうところに起因するのだろうか?

定年後、故郷に想いを寄せて、帰郷したがるのは男の方だと思うが、どうだろうか?

2008年8月10日日曜日

風景と年齢

金沢八景駅裏の風景
右側にあるのは、金沢八景駅の上りのホームである。
若い女性がホーム沿いにある細い道(橙色の盲人用の案内板が続いている)を歩いている。
金沢八景駅前を含む、周辺だけが40年前の佇まいというか風景を残していた。
野島の方の風景は八景島シーパラダイスの開発によって様変わりした。
駅前は個人商店が立ち並ぶために駅前開発ができなかったのだ。

学生の頃、文学部の教授が飲んでいるのを見つけて、その席に割り込んでお酒を飲ませてもらった赤提灯があり、授業をサボって友人たちと駄弁っていたフルーツパーラもそのまま残っている。
線路下をくぐる狭い地下道を通ると学校へ通う細い道がそのままだ。
なんと、2軒の藁葺きの家までそのままだった。

当時の記憶が鮮明によみがえる。
涙が出そうなくらいに懐かしくなるのは何故なのか?

方丈記の一節に
行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
淀みに浮かぶ泡沫は かつ消え かつ結びて 久しくとどまること無し
世の中にある 家と住処も これに同じ

さらにその後の平家物語でも
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 沙羅双樹の華の色 、、、、

さらには、方丈記を意識した芭蕉の奥の細道で、
月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人也。舟の上に生涯を浮かべ、、、、

中学の国語の時間に上の一節や枕草子の一節を何度も読まされた。調子が良いので覚えている。
55歳になった頃かろから、片雲の風に誘われて 漂泊の思いやまず、、、という文章が突然頭の中に浮かぶ。
そういう精神年齢になったのだと思っている。

2008年8月9日土曜日

可哀想な動物

八景島シーパラダイスのシロイルカ
釧路から上京する妹が八景島シーパラダイスに行きたいというので、金沢八景駅を待ち合わせ場所にして、連れ合いと出かけた。

アザラシ、シロクマ、セイウチ、ペンギン、カワウソたちが狭い水槽に入れられて、狂ったように同じ行動をしている。
親子連れや若いカップルたちは「可愛いい!」と歓声をあげている。
大きな水槽の中をエスカレーターが通りぬけ、上にも下にも左右にも魚たちが泳ぐ、ふらふらと弱っている魚、痩せてもうあと2、3日の命のような個体が混じったイワシの群れ。

最後にシロイルカの水槽を見た。
動物虐待以外の何ものでもない。
可哀想なシロイルカ、遮る物がない透明な円筒の水槽の中を上がったり、下りたりと全く同じ行動を繰り返している。精神的病に罹っているのだ。

ここ八景島に限らず、日本の水族館のあるいは水棲哺乳類に関しての飼育管理は前近代的だ。
動物たちを単に見世物としてしか扱っていない。

2008年8月8日金曜日

歯科医院に行くのが嫌な理由

カニクイザル(Macaca fascicularis)の推定8、9歳メスの上顎の歯
私たちヒトの歯並び(前歯が2本、犬歯1本、小臼歯2本、大臼歯3本)と同じだ。
昨日、歯科医院に行った。
椅子に座らされていた時間は30分くらい。
口を開けたままでいること25分以上。
大口を開けながら、何故、歯科医院に来るのが嫌なのか考えた。
キーンという歯科独特の歯を削る機械音!
ガリガリと患部を削られる時の頭骨・脳への不愉快な衝撃!
この削られる時の不愉快な衝撃が唯一最大の歯医者嫌いの理由であると思っていた。
今回は6ヶ月目の定期検診であり、歯を削られることはなかった。
にも拘らず、歯科医院に来るのは嫌だと思った。
その嫌さとは、半ば強制的に他人に自分の口内を隅々まで見られ、さらにいじくり回されることだ。
歯科医師や衛生士に口を開けてバカ面をして見せて、幼児言葉のような言い回しで注意される。
この嫌さ、屈辱は歯を削られるのと同等かそれ以上のものである。
大口を開けてバカ面をさせられている、この屈辱から一刻も早く開放されたい。
逃げたい気持ちになる。
検診が終わった後、礼を言うのに相手を見るも恥ずかしい。

2008年8月7日木曜日

八月蝉い

網戸にアブラゼミのオスがとまった。
こっそり近寄りパチリだ。が、デジカメは無音。
三脚を取り出して撮ろうと思って、離れたら逃げていた。 友人のGomoto氏は、関東の夏は「五月蝿い」ではなく、
「八月蝉い」と書くべきだと主張する。
ぼくも彼の意見に全く同感だ。

が、その「八月蝉い」夏が、遠い昔のこととように思える。

セミの鳴き声が聞こえない。スズムシやコウロギの鳴き声も小鳥の声も聞こえない。

野生動物調査者としては、最も重要な調査道具を失ったようなものだ。

自転車のベル音や炊飯器や洗濯機の完了音まで聞こえない。

これからは高齢化時代、高い周波数の音が聞こえない人たちが多くなる。

自転車のベル音などの警告音をもう少し低い周波数の音にしてもらいたい。

2008年8月6日水曜日

同定できない!

何故か、コメントに対応して文章を書き直したら、肝心の高山植物の写真が消えていました。
あらためて、同定できなかった写真をアップします。
下のチョウは、釧路湿原で撮ったものです。
3、4種類のジャノメチョウかタテハチョウの仲間を撮ったと思っていたのですが、拡大してみると皆、下のチョウでした。
上の写真の植物は、雌阿寒岳の9合目当たりで撮ったものです。
チョウも植物も同定できません。
とくにこの植物は科さえ思いつきません。
御存知の方、教えて下さい。

昨夜、釧路から暑く、混雑する羽田に戻ってきました。
羽田から京浜急行に乗り、「あ~、再び日常だ!」との感慨で電車の中の勤め帰りの人たちの顔をながめながら帰宅しました。

この高山植物については、植物写真家であるisa様から「ヒメイワタデ」という御指摘(コメント参照)を受けました。
さらに、チョウについては、take様から「サトキマダラヒカゲ」であるとのコメント(参照)をいただきました。

2008年8月5日火曜日

湿原の思い出

釧路湿原の遠景
これは7月27日の釧路実習でサテライト展望台から撮ったものです。
手前の少し斜めに左右に走っている木が生えてないようなところ、わかりますか?
そこのさらに手前(手前の林と重なりそうなところ)に斜めに細く走っている道がわかりますか?
クリックして拡大して見て!
白い服をきた人が歩いていますね。
そこが、湿原探勝歩道です。左(実際は北にあたる)に進むと温根内ビジターセンターがあります。

この湿原探勝歩道はかって鶴居村と鳥取を結ぶものでありました。
鳥取小学校の頃の同じクラスに、鶴居村から通ってくる吉田くんと澤田さんがおりました。
彼らのおじいさんさんたちは鳥取県から屯田兵として渡ってきたのです。
ぼくは、2度吉田くんに着いて鶴居村の彼の家まで行ったことがありました。
片道10キロ?くらいあったとおもいます。
帰りは、真っ暗闇の道を遠くの光を目差して歩いたのが昨日のように思い出されます。
2度の内一度は、軌道の上を走るトロッコに乗って鶴居村まで行ったことがありました。

当時の湿原は、原野と呼んでおり、牧場にもできない不毛の地と考えられていました。
しかし、当時の子供たちにとっては、無限の楽しみを提供してくれる場でもありました。

春は、山菜採りやスズラン狩り、オタマジャクシ取り
夏は、ヤチウグイ、トンギョ、ドンコ、ドジュウなどの魚釣り、さらにはキリギリス取り
秋は、コクワ(サルナシ)やヤマブドウ狩りやボリボリ取り
冬は、スキーを履いて、どこまでも自由に歩ける開放感

谷内坊主の上を飛び跳ね、谷内眼に竦み、肘や膝はいつもすり傷だらけの子供の時が懐かしい。
そういう外遊びを今の子供たちにも味あわせてあげたい。

2008年8月4日月曜日

デカイ植物

蕗の葉の間から顔を出して花を咲かせているのは
巨大なウバユリ
関東地方の里山では見慣れたウバユリであったが、あまりにもデカイので写真を撮る。
釧路湿原の植物の本を眺めていたら、このウバユリの名前がオオウバユリという和名になっている。
ウバユリの変種ということだ。 哺乳類では、アレンの法則やベルグマンの法則があって、近縁の動物では、寒い地域に生息する動物(哺乳類や鳥類)ほど 耳、尾、手足の長さなどが短く身体が大きくなり、全体的に丸くなる。
これは、身体全体の表面積を小さくすることによって、逃げていく熱量を最小にするという効果がある。

ウバユリもバカデッカクなって変種となっている。上の写真で写っているフキ(アキタブキ)も関東などのフキと比べ物にならないほどデカイ。たくさん生えているミズナラは葉があまりにも大きい(関東の山で見られる葉の2、5倍くらいの大きさ)ものだから、カシワ?とまで思ったくらいだ。
まるで、葉を大きくすることによって、北国釧路の夏の太陽をいっぱいに浴びようとしているかのようだ。
どうなのだろうか?植物にもアレンやベルグマンの法則のようなことが云われているのだろうか?

鳥痴であり、植物についても詳しく知らない。恥を忍んでお尋ねしますj。どなたか御存知の方教えてください。

2008年8月3日日曜日

ストーブをつける

昨日、今日と雨模様の天気
91歳のお袋がストーブをつける。
外にいると長袖でも寒く、薄手のセーターが欲しい。
釧路を東京以西の人たちの避暑地として宣伝したいくらいだ。
上のフサスグリは阿寒川で釣りをした時の、川沿いの畑の横に他の草木と一緒に植えられて(生えて)いたもの。熟すと赤黒くなり、甘くなる。ぼくはグスベリの甘酸っぱい実の方が好きだ。しかし、関東地方のカキの実もそうだが、このような野趣溢れる実を子供たちも食べなくなった。
あんなに線路沿いの草叢にあったモリイチゴをまだ見つけていない。

2008年8月2日土曜日

ガンコウランとコマクサの思い出

ぼくが子供の頃(50年前)
現在の釧路西港があるあたりから大楽毛、白糠までの海岸沿いには、ガンコウランやフレップ(コケモモのこと)が生えていた。
ガンコウランやフレップの上で転げ回って遊んだ。
フカフカして気持ちがよかった。

現在では、温暖化の影響のためガンコウランやフレップは海岸沿いでは見られなくなった。
見られるのは雌阿寒岳や雄阿寒岳などの山だけとなった。

先日登った雌阿寒岳の帰路、青黒くなってきたガンコウランの実を食べてみた。
懐かしい味がした。
フレップの実はまだ白いところが残っており赤くはなっていなかった。
(クリックすると青黒い実がみえますよ。)
今回の雌阿寒岳・阿寒富士登山で、ちょっとした異変に気が付いた。
これまで、コマクサが見られたのは阿寒富士の山頂付近だけであった。
それが、雌阿寒岳の山頂から阿寒富士の登り口までの鞍部辺りにもたくさんコマクサがあった。
この辺りのコマクサの大半が花が終わりかかっていたが、阿寒富士山頂ではまだたくさん咲いていた。
このコマクサの低いところへの広がりをどのように解釈したら良いのだろう?
このところ活発化している雌阿寒岳の火山活動の影響があるのだろうか?
2006年の釧路実習の時は、噴火のため雌阿寒岳には登れなかった。

2008年8月1日金曜日

湿原で見つかるトガリネズミの死体

釧路湿原を歩いたときに、今回はまともなトガリネズミの死体を見つけられなかった。
3コ見つけたが、いずれも踏み潰された死骸であった。
下の写真のものはそれでも一応見た目でトガリネズミを判るので撮った。 ひっくり返して腹側から
関東近郊の山麓の登山道や林道を歩くと、足元に見つける死体がヒミズのものである。何故、ヒミズが肉食動物にも食べられずに道に転がっているのか分からない。

釧路湿原では、ヒミズの代わりにトガリネズミとなる。
ヒミズはモグラ科、トガリネズミはトガリネズミ科で同じ食虫(モグラ)目であっても科が異なるが、両者とも似たような生態をしている。両者とも地表の腐葉層を動き回っている。手の形からしてヒミズの方が柔らかい地表中を潜っているのだろう。
似ている生態だから、同じように人が歩く道に転がっているのはどのようなことが原因なのか? 上の写真は、雌阿寒岳で見たイワギギョウの花である。右下の幅広のロゼット状の葉はイワブクロだ。

フィールドサイン(糞)

キタキツネの糞、釧路湿原で:ネズミ類の毛と骨の一部が内容物に含まれている。
クロテンの糞、釧路湿原で:ヤマザクラの実の果皮とタネからなる。
ミンク?の糞、釧路湿原で:ヤマザクラの果皮とタネだけのもの。
ミゾハギ、阿寒川沿いで:釣りをした時の川沿いの畑の側に生えていた。
釧路から上京して始めての夏を兄貴のアパートの部屋で過ごした。
暑くて、パンツ一枚になり足を水を張ったバケツに入れて過ごした。
運動もしないのに、ただ座っているだけで汗が出るっていうことを始めて経験した。
そのアパートの近くの学校の木には無数のセミが鳴いていた。
しかも、数種類ものセミを見つけた。
捕まえようと近づくと、パッと飛んで逃げた。まるで、ギンバエをでかくしたようなセミだと思った。

釧路にきてまだセミの鳴き声を聞いていない。
あのエゾクマゼミの声がどんな声であったのか忘れてしまった。
このセミは鳴いているところに、近づいていっても逃げるようなことはない。
手掴みすることが容易である。
が、セミを捕まえたのは一夏に1、2匹くらいで、それはもう当然絵日記のテーマとなった。

関東地方のあの夏のセミの騒がしさは、夏の暑さと日差しを一層強いものにする。
釧路でまだセミの声を聞いていないのは、ぼくの耳のせいかもしれないと今気が付いた。
5日の夕方には、耳のせいかどうか分かる。
高校の尊敬すべき友人のGomoto氏は夏の「五月蝿い」は「八月蝉い」と書くべきだと云う、理に適っている。
それにしても、関東地方のあのアブラゼミの多さは異常とも思えるのだが、、、、。